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写真家竹沢うるまと過ごしたクック諸島滞在記(個人的な心情編)2018 08/23-08/31

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こんにちは、現在定職に就いていない無職のまりこです。

2018年8月、太平洋南半球の小島、クック諸島に行ってきた。
移動時間含めてトータル12日間の旅。

ツアー詳細:ひとたび この人と、旅をする
南半球に浮かぶ楽園へ~竹沢うるまと過ごすクック諸島~

クック諸島はポリネシア文化圏にあり、日本から行くにはニュージーランドのオークランド経由で約14時間程度のフライトでたどりつく。
日本ではあまり有名ではない国。
気候がよく、人々は優しく、海や自然が美しい穏やかな島。

たまたまなのか、私は今ノージョブ。
オフィスワーカーとして働いていたら行けなかったかもしれない。
いろいろなことが奇跡的に重なった。

ツアーは写真家の竹沢うるま「さん」がナビゲートしてくれた。
クック諸島はうるまさんにとって特別な場所。
そんな大事な場所を他人に開示することには逡巡があったらしいが、みんなのために、世界のためにオープンにすることに決めたらしい。

詳しくはうるまFBの投稿をご覧あれ。

旅の最中、心は揺れたな。
行く前も揺れた。
今も揺れてるし。

何かを掴めたのかな?
わからない。
何かが変わったのかな?
わからない。

でも竹沢うるまが我々に渡そうとしてくれたことを、咀嚼して、いつか私も誰かに渡したいんだ。

とはいえ、何が渡せるのか、未だ不明。

ひとまず、私の人生の夏休みの旅行を振り返って記録してみる。

クック諸島に行って帰ってきたなんて…嘘みたい。

でも感じたことを記録しておくことは重要だ。

この後の人生のためにも。

はじまり


写真家の竹沢うるまという人は私の中で大きな存在過ぎて、リスペクトする気持ちもあり、いつも「うるま様」と呼んでいた。

別にふざけていたわけではない。
日本語にいろいろある敬称の中で、その呼び方が自分の気分に一番合っていたので、使っていただけである。

写真を撮ることを学び始めて間もない頃に出会った彼の作品は、私には衝撃的だった。

まずコンテンツにガツンとやられた。

さらに旅の紀行文を読み、こっちにもガツンとやられた。
「うるま様」が旅や世界や未知のものに向き合うモードを垣間見て、アタマの中がぐるぐるした。

でも今回の旅を経て「うるま様」呼ばわりは何だかしっくり来なくなった。

リスペクトする気持ちがなくなったわけではなく、ますます大きくなっている。

変化


今回、我々ゲストを迎えるにあたり、彼は写真家としての姿は極力封印していたように思う。

自分が愛する島の魅力を紹介するホストであり、生活者であった。

私はその姿に勝手に「先生」「お父さん」「お母さん」の要素を感じていた。

全く奇妙な話だけれど、そう感じてしまったのだから仕方がない。

感じた「先生」の要素は「写真のインストラクター」ということではなく、「Teacher」の方。

背中で語ってたし、行動とふるまいで語ってた。

人生や心の有り様について指南する人で、導く人だった。

で、それは結局、写真を撮ることにもつながる。

何を見て、どう感じたのか。
気持をどう残すか、後で空気や感情を振り返るために、撮るべきものは何か。

写真というのは手段でしかない。
写真を撮る前に愛がある。

愛がないのに撮ってもしょうがない。

うるまごはん


我々が食べるごはんは、ほとんど彼が作った。
いつもみんなのごはんの心配をしていて、お腹いっぱい食べているか、満足しているか気にしている様子は、お母さんのようだった。

試しに「うるまおかあさん」と呼んでみたら苦笑いされた。

あたりまえか。

そんなこんなで今は「うるまさん」と呼ぶことにした。

でも実は「うるま」と「さん」の間に見えない「おかあ」が省略されている(笑)

冒険


未知のことに出会い続けたこの島での日々は、私には冒険そのものだった。

ラロトンガ島(クック諸島のメインアイランド、今回9日間滞在した島)の自然は、私が子供の頃の武蔵野の自然を思い起こさせた。

小学生の頃、家の周りには雑木林がたくさんあった。
当時はそれが当たり前だと思っていた。

今はもうない。
ほとんどの林が何か別の人工の建造物に変わっている。
住宅、商店、公共の施設、駐車場。

今回クック諸島に初めて訪れたのに、なぜか懐かしさを感じたのは、ラロトンガの森と自分の記憶の中の雑木林がシンクロしたから、かもしれない。
多分。

私の気分も世界のとらえ方も、すっかり小学生に戻っていた。

初めて出会うこと、ひと、もの。

新鮮、驚き、歓喜。

心の鎧がはずれたのかな。

これを開放と呼ぶのだろうか。呼ぶのかもしれないな。

郷愁


スティーブン・キング原作の「スタンド・バイ・ミー」という映画、見たことあるかな?

少年たちが仲間と夏休みに冒険の旅に出る物語。

昔あの映画を友人たちと一緒に見終わった後、なぜか涙が止まらなくて、映画の後に入ったインドネシア料理屋でもずっと泣いていた。

そのことを久しぶりに思い出した。
その店、新宿歌舞伎町のインドネシア・ラヤって店。今はもうない。ハハハ、どうでもいいね。

クック諸島の旅は、私には「スタンド・バイ・ミー」の少年たちの冒険の旅に重なるものがあったんだ。

映画を見た後に止まらなかった涙のわけ、今なら何となくわかる。

仲間と過ごしたあの夏は、もう二度と帰って来ないからなんだよね。

結構長く生きてきて、そういうこともわかって来たため、超絶楽しい旅行中も「あ〜この感じ、今だけなんだな〜」と折々さみしくなって、よく泣いてました。

年とると涙もろくなっていけねーや。

仲間


今回、ツアーにゲストとして参加したのは7名の男女。募集人数はもう少し多かったんだけど、まあいろいろあって最終的に集ったのは7名。

本当に素敵なメンバーでね。

みんな優しくて強くて明るくて頭が良くて、私はすごく助けられた。

この旅で私は「あれ、私こんなにいろいろできない人だったかな?」って自分で思っちゃうくらい、なんかダメダメな事が多かったんだけど、他のメンバーがさりげなく優しくサポートしてくれたため、楽しくへらへら旅を続けられた。

宿は大きな別荘みたいなおうちに、それぞれが個室を割り当ててもらえるという贅沢なスタイル。

夕食後はリビングのソファーで、みんなでワインやビール片手にくだらないこと(イヤ、ものすごく大事なことか?)を語り合うという、合宿感というか、ユースホステル感というか(行ったことないんだけど)なんかかなり青春ぽくて、それも面白かった。

毎晩のようにそんな風に過ごして、旅の間はそれが当たり前になっていて、ツアー終了と同時にこの当たり前の幸せな時間も消えるんだなとふと思うと、ぐわーっと悲しくなって、気づくと幅広の涙を流していた。

心の鎧をはずしちゃうと、感情はあふれ出てきて止めることができない。
都市生活中にこんなんなっちゃうとヤバイ人なので、普段は自然と自主規制していると思う。

しかしラロトンガ島での暮らしの中で心はすっかり小学生帰りしていた。
ガードがはずれて、ピュアなむきだしの状態。

そんな時期もあってもいいんだろうな。長い人生の中で。
というか、積極的に持った方がいいのかもしれない。

ラロトンガ島は、安心して無防備になっていい場所。

ヴァーチャルな世界からの遮断


東京での生活と同様に、旅行中も夜になったらSNSに写真の1枚もアップしようと考え、到着と同時にビジター向けSIMカードを購入した。
外国でSIMカードを買って使う生活がどんなものなのか、知りたくもあったし。

でも結局到着したその日に1枚アップしたっきり、その後はSNSを開く気に全くならなかった。

クック諸島では通信系は一社独占なので料金は高い。SIMカード、高い買い物だった。

クック諸島の自然


クック諸島では動物と人と自然が対等に存在している。

椰子、マンゴー、ノニ、バナナ。
道端に普通に生えている。

果樹は完熟するまで木になったまま放置される。

日本で出回る果物のほとんどは、販売と流通のために青いまま収穫して、輸送や販売の工程中に成熟させているらしい。
未成熟な果実をいかに上手に成熟させるか?が果物屋の腕の見せどころである。

でもクック諸島では果物を無理に収穫したりしない。
自然に実った果物って、甘くて身が詰まっていてすごく豊かな味がする。美味しい。

以前台湾に行った時、台湾バナナがめちゃくちゃ美味しくて、それは「台湾バナナ」という種類のバナナが美味しいからだと思いこんでいた。
でも日本で売っている「台湾バナナ」を探し求めてやっと見つけて食べたら、値段は高いのに全然美味しくなかった。

つまりそういうことなんだな。
品種の問題なのではなく、熟し方の問題。
自然にまかせて成熟させた果物こそが美味しくなる。

クック諸島の動物


ラロトンガ島ではニワトリは放し飼いでそこらをウロウロしており、四六時中「コケコッコー」と鳴いている。

夜は木に登って寝るらしいが、夜中でも「コケコッコー」は聞こえる。
夜中の3時位には「コケコッコー」のコールアンドレスポンスが始まる。
割とうるさい。
でも不快ではない。

犬もつながれていない。

自由に道を渡り、海に飛び込んで他の犬とじゃれあったり、人に近寄ってきて気が済むまで遊んだら、さらっと去っていく。
自由。

飼い犬なのか。野良なのか。よくわからない。
すぐにごろんと横になってお腹を見せて来る。
無防備。

猫もいる。

でも日本の我が家にやって来る野良猫たちとは顔つきも態度も全く違う。
日本の野良たちは全く私に心を開かない。こちらとの距離を決して縮めようとはしない。いつもピリピリ警戒していて、私の姿を見かけると素早く立ち去る。
意地悪したことないんだけどなあ。

島の猫たちは鷹揚である。
ゆっくり近づいてきて、ゆっくり去っていく。
人間との間に壁がない。
猫と人間の間に上下関係もない。

豚もいる。牛もいる。柵はない。そして臭くない。
臭いがない理由は何だろう?不思議な島。

クック諸島の人


島の人達も、外国人に対して垣根を作らない。
大人もこどもも目が合うとにっこりしてくれる。

知り合いとか、そうでないかとか関係ない。

この島には競争とかマウンティングとかはないらしい。

豊かなんだな、根本的に。

クック諸島の暮らし


クック諸島の定時勤務は8時ー4時。

島の外周をぐるりと走る道路は朝、夕の時間帯だけ少し車が増える。

でも渋滞ないし、信号もない。

スピード出す人もいない。

レンタル自転車屋の店員は定時の4時になる前に帰り支度を始めていた。

ゆるい。

島の経済がどのように回っているのかイマイチよくわからない。

でも議会があって、選挙がある。

その他にも従来からの村長制度もあるらしい。

刑務所もある。

DVけっこうあるらしい。

商店や産業できっちり働いて回しているのはフィリピン人らしい。

物資はニュージーランドから2〜3週間に1回船便で届く。

船が着く直前は、商店から生鮮食料品が消える。

そういう時期は葉物野菜を手に入れるのは難しい。

島の人はみんなそんなもんだと思っているみたい。

あんまり便利にしよう、変えていこう、効率を良くしよう、という動きは起きないらしい。

競争がないのか。

なんか絶妙な立ち位置で、市場経済の輪の外にいる。

外食は高いけど概ねあまり美味しくない。

不便といえば不便。

島ではAmazonで注文できるのだろうか?

でも私も20世紀には、Amazonで買い物なんてしてなかったな。

便利なことはしあわせな事なのだろうか?

自分のいる世界に「便利」が存在していれば、選ぶ私ではあるのだが。

システム


日本に帰ってきて、この国では人間が作ったシステムが最も優位にあり、システムの維持運営が何より大事なところなんだな。
…と丁寧で完ぺきなしっかりしたサービスの数々に触れて思った。

サービスを利用する立場としてはありがたいが、システムの中に人間がいる。

システムの一部である人間としては、システムに最適化できないとツラい。苦しい。

確かに日本みたいな国、多分世界のどこを探しても他にないだろうな。

2カ国旅してきただけだが、そう思う。

クック諸島は、人工のシステムではなく、もっと大きなシステムの中にある感じ。

もっと大きなシステムというのは、自然とか物理とか宇宙のようなこと。
人間が変えられない、世界の定義みたいな、より大きな法則という意味でのシステム。

例えば朝になると東から太陽が出て、夕方に西に沈む。

海と山があり、風が吹き、雨が降り、雨が止み、太陽が出る。

人間は朝目覚めて、昼働き、夕方には家に帰り、家族とごはんを食べる。

自然のリズムや流れには逆らわない。

無理はしない。

人間は大きなシステムの中の一要素、自然のシステムの法則には逆らわず、そこに暮らしや生活のリズムをフィットさせて生きていく、みたいな感じ。

システムは日本にもクックにも両方にあるんだけど、システムの主体が違うというか、システムの趣旨が違うというか。

出会い


旅の終盤、我々ツアーメンバーがホストとなり、クック諸島で暮らす日本人とその家族をゲストとしてお招きし楽しんでいただく、いわゆるホームパーティを開くことになった。

クック諸島には7人の日本人が住んでいる。

ちなみにクックの首都があるラロトンガ島の人口は12,000人。

様々な理由で今クックで暮らしている日本人のみなさんの話は、私の気分や気持ちに強い印象を残した。

みんな流されて生きてない。

流されてはいないけど、流れは来ていて、来た流れに乗って、さらに自分でも漕いで、自分の意思で島に錨を下ろして暮らしてるっていう感じ。

いろんな生き方があるなあって思った。

みんなの表情が、日本人なのに日本人ぽくないというか、東京で見かける人の顔つきとは全然違う。

このパーティは強く心に残っている。

パーティの後、私の気持ちは軽くなり、心の中はハッピーなオーラで満たされた。

人間、何やったって生きていける。

言語


私は超反省した。

日本で暮らしていると英語が必要なシーンは多くはない。

別に英語が堪能でなくても生きていける。
国内の経済規模が大きいからだ。

だから英語でのコミュニケーション能力を高めることにリソースを割いて来なかった。

でも、この旅の中で相手の好意や言葉を受け止めきれず、自分の思いも表現しきれないこと、伝えきれないことに超フラストレーションを感じた。

そういうのもう嫌なので、英語を聴いて理解して話す力を高めるために時間を使うことにする。

写真


1年前、加入しているフォトクラブのグループ展の作品決定が終わり、みんなで決めたテーマでの撮影から開放された後、自分は何を撮ったらいいのかわからない症候群に陥っていた。

自分では本当に困っていたので、会う人会う人に「いったい何を撮ったらいいのか」聞いてみたりした。

人に聞いたところで答えがあるわけないのに。

まじめに答えてくれる人もいた。

結局撮るべきなのは自分がどうしようもなく惹かれてしまうもの、ついつい目を向けてしまうもの、何だか気になってしまうものなんだ、と思う。

もしそういうものが今思い当たらないのであれば、それは知らないから、経験していないから。

だったら新しいことを知り、経験の幅を増やすことから始めればいいんだ。

あの頃の私に、今の私なら助言の手紙を書ける。

ばかみたいな悩みも無駄じゃない。

クックの旅から戻った今、撮るべき写真を撮っていなかったことに気づいている。

足りない。

脳のイメージライブラリーには残っているのに、写真がない。
全くどうしようもない。

でもそれは一番不幸なことじゃない。
答えがあって、足りないなら、次から直していけばいい。

そして写真がないなら絵に描けばいい。

大事なのはイメージがあることだ。

旅の途中


クック諸島に行ったことは私の人生のマイルストーンだな。

旅はまだまだ続く。

このタイミングでクック諸島に行けたことは、人生が送ってきた何か重要なメッセージ。

この時でなければ、多分行けなかった。

不思議な巡り合わせだ。

いろんな偶然の出来事の中から、選んでつながってここまで来た。

出会った人や事やモノは全部意味がある。

大事にしよう。

まとめ

クック諸島の旅、振り返り心情編はこの辺でおしまい。

今も夜明け前に動物の声が聞こえると、島とリンクしていると感じる。

夜更けの風や雨の音や、植物が壁に落とす影からも、島につながる何かを感じてしまう。

次の記事では現地で体験した、貴重なアクティビティやイベントについて書きます。

今回急遽購入して、結構使ったコンデジ
「Olympus Tought TG-5」

なかなか役立ってくれましたが、特性を理解仕切っていないので、肝心なところでミスショット連発。携行して使いこなさないと。

後継機種はこちら TG-6

ABOUT ME
ちゃんまり
東京在住・国際ポートレート協会認定プロフェッショナルポートレートフォトグラファー ご相談ご依頼はお気軽にどうぞ。

POSTED COMMENT

  1. わたなべ ゆうじ より:

    すばらしいコメントですね。得たものも多くそれが今後の写真で観られるのを楽しみにしております。

    • sugar より:

      そですね〜。心をにごらせず、心が動いた時にフラットな気持ちでシャッターを押すようにすれば、それが写真に反映されるかな?と、今後の自分に少し期待してたり…します^^

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