先日約10日間のクック諸島旅行に行っていたのですが、本を4冊持って行きました。
フライト中や夜、自分の部屋で本を読む時間が、そこそこあるだろうと予想してのことです。
いやいや、全然そんな時間なかったです。
遊び過ぎでクタクタになって、読みゃあしなかったですw
その例外の本がこの「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」という新書です。
この本だけは、クック滞在中もちょっとずつ読み進めていました。
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この本は、自分がいつもなんとなくモヤモヤ感じていたことを、スッキリとスマートでわかりやすい表現で書いてくれた本です。
とても読みやすい文章なので、ラクに読めます。
日本の様々な組織に身を置く人にとって、生き方や選択の参考になると思います。
いろんな切り口で語れるんだけど、今回は「あーこれ、写真も同じかも?」と、作品撮影する上で参考になる部分に絞って、ご紹介します。
大事なのは「選択と捨象」
デザインと経営の共通点は「選択したら他は捨てる」ことです。
「デザイン」と「経営」には、本質的な共通点がある
「エッセンスをすくいとって、後は切り捨てる」
大事なのは「選択と捨象」、つまり「選択」したら、後は「捨てる」ということ
「選択したもの以外捨てる」とは、まさに写真を撮る時の考え方と同じではないですか。
写真は引き算とよく言われます。
優れた経営者やデザイナーは、写真を撮らせてもきっと優れた写真を撮るのでしょう。
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美意識とは自分のスタイルを守ること
美意識=スタイル=エスプリ
大事なのはスタイルだ、
自分のスタイルを守ることだ、
どんなひどい状況に陥っても自分のスタイルを崩さなければ何とかやっていけるものだよ村上龍『悲しき熱帯』
「なぜ美意識を鍛えるのか?」というタイトルの書籍なのに、返す刀で著者は「美意識を鍛えることはできない」とも言ってます。
どちらが正しいのでしょう?そのヒントが引用した文章の中隠れています。
美意識というのは、自分の個性であり自分の性質そのものであるということ。
私はそう解釈しました。
個性を鍛えることは確かにできないかもしれない。
できることといえば、自分が認識してない個性、奥に隠れてはっきりと形を現していない個性を表に引っ張り出してくることでしょうか。
そして個性とは何なのか?
個性を発見するためには旅に出れば良いと思います。
非日常的な何かが起き、知らない何かに出会った時、新しい自分を発見できます。
「あー、自分って、こういう時こう思うんだ、こう感じるんだ、こんな行動するんだ」ということが、その時初めてわかります。
自分が知らなかった自分=個性=人に固有の美意識
なのだと思います。
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絵を見て、感じて、言葉にするVTS
Visual Thinking Strategy、略してVTS。
最近のビジネスエリートの間で、この学習プログラムを受けるのが人気らしいです。
Visual Thinking Strategy
見て、感じて、言葉にする
どんなカリキュラムかと言いますと、複数名参加のアートグループレッスンです。課題の絵を一枚決め、参加メンバーが設問に自由に答えていきます。
設問の内容は以下のようなものです。
- 何が描かれていますか?
- 絵の中で何が起きていて、これから何が起こるのでしょうか?
- どのような感情や感覚が、自分の中に生まれていますか?
なるべく豊かな気付きを得ることができれば、カリキュラムは成功だそうです。
グループで実行することが肝で、大事なのは「どんな発言も許される」という雰囲気作り。
「こんなこと言ったらダッセーかも、馬鹿だと思われるかも、言うのやめとこ」
と感じさせず、素直な、発言をしたくなる雰囲気を作る事が大事なのです。
許される雰囲気の中では、誰か勇気ある一人が発言すると、その発言を足がかりに他のメンバーも気づいたことを発言し出します。
さらにその発言に対しても、また別のメンバーが独自の気付きを発言し始め、どんどんプラスの連鎖が生まれて行きます。
このレッスンは、課題の絵を「写真」にしても面白いんじゃないかなと、私は思いました。
自分一人でもVTSはできそうだけど、何人かでやった方が、他人の視点の自分との違いが発見できて楽しいし、学びがあると思います。
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パターン認識
パターン認識とは目に入ったものを「過去にあったアレ」と同じだと見抜くことです。
大人は、目に入ってくることを、意味付けして解釈するようになっています。
パターン認識は、毎日の繰り返しを、エネルギーを省力化して効率的に過ごすにはたいへん大きな武器です。
しかし、その一方で「変化を捉える、変化を起こす」には大変重い足かせになっています。
言葉というのは概念でありパターン
文字、名前、記号、全部パターンです。
街スナップを撮る時、「文字のついた看板は極力絵の中に入れないように」とよく言われます。
母国語の文字というパターンは非常に強力で、目から入った「文字情報」は瞬時に「言葉」に変換され、ほぼ同時に「意味」として認識され、次の「行動」へと促します。
意味を排除して見ることが難しいのが「文字」です。
だから特別な意図がない限り、画面に「文字」は入れないようにしましょうね、と写真教室では教えます。
「文字」の「意味」に引っ張られ、最も見せたい部分に見る人の意識が向けられないことを避けるためです。
ただその文字が外国語だった場合、パターン認識の力は弱まります。我々日本人が、パリやアフリカやカンボジアで撮影された写真を見る時、その国の言葉が写っていても、「意味」としては認識せず、「模様」あるいは「背景」のようにとらえていると思います。
しかし現地の人が見れば、それらは明確に「意味」として認識されるでしょう。
写真は人に見せて完結するというのは、見る人によって受け止め方が変わることを指しているのでしょう。同じ写真でも、見る人の習慣や歴史的背景により、伝わることが変わります。
パターンの利用は社会を効率的にしますが、新しい美を見つけたいならパターンの呪いから自由にならなくてはなりません。
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メタファー
メタファー。
メタファーは、ベストセラー小説「騎士団長殺し(村上春樹著)」のなかでも重要な概念として描かれています。
優れた詩は「メタファーの力」を活用することで言葉以上のイメージを読み手に伝えている。日常の営みのあらゆるところにメタファーは浸透している。われわれが普段、ものを考えたり行動したりする際に基づいている概念体系の本質は、根本的にメタファーによって成り立っているのである。
ジョージ・レイコフ『レトリックと人生』
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メタファーの意味は、「暗喩」「隠喩」です。
喩とは「例えること」で、メタファーの対比になるのが「まるで○○のようだ」とわかりやすく例える「直喩」です。
一方暗喩(メタファー)は、はっきりとは言わない表現方法なので、投げかける相手によっては真意に気づいてもらえないこともあります。
メタファーによる表現は一見わかりにくい分、受け手に的確に届いた時には直喩では実現不可能な強い伝達力を持ちます。
言葉が多ければより強く伝わるわけではありません。むしろ言葉数が少なくても、独創的でぴったりと共感できるものであれば、聞き手に深く届き強い余韻を残します。
メタファーは共感でもあるし、妄想でもあります。優れた写真、強い写真も、メタファーを持っています。
「そこに写っているモノ以上の何か」を見る人に想起させる写真。それが優れたアート写真です。
想起するものは、その人が過去に見た光景、体験したこと、沸き起こった感情、あるいは現場の臭いかもしれません。
写されたものは撮影者が見たものに間違いありません。
しかし現場にいなかったはずの人が、その写真を見るとそこに自分にも共通するものやシンクロする何か、共感できる何かを感じとってしまう写真が、世の中にはあります。
いい写真とはそういう写真なんじゃないでしょうか。
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追記
この記事を書いている最中に、連日、ある伝統スポーツの話題が盛んに報道されていました。その中で渦中の人物に対して
「美意識過剰すぎる」
という発言をする人がいたんです。
人がどんな美意識を持とうとその人の勝手だし、自由だし、美意識が貧しくて困ることはあっても、美意識が過剰過ぎて困ることなんてないです。
『美意識が過剰すぎる』などと口にしてしまう人は、身体も思考も硬直していると思います。何かを見直さないとヤバイです…
過剰なほどの溢れる豊かな美意識を持った人がチームの中に存在しているなら、その人、最高のチームの宝じゃないのかな?
世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 を読み、なぜビジネスに美意識が必要なのか、情報収集した方がいいでしょう。
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おもしろかった。
しかし、理解するにはとても難しく感じた。
考え方の一方面を見た気がした。
面白いですよね? ぜひ、元の本の方も読んでみてください。 もっとよく理解できるようになると思いますよ〜。