自分に才能があるのかどうか‥あるとしたらどんな才能なのか。
わかっていたら苦労しません。
表舞台で活躍する目立つ誰かを見かけて「私にあんな才能があったらなあ‥」と安易に羨んだりしたこともあります。
一方で「いやいやいやいや、私にだって、独自の何らかの才能があるに違いない」とポジティブに流されることもあります。
こんな風にああだこうだ悩まなくても、カンタンに自分の才能を判定する方法があるんですよ。今日はそれをお話しします。
はたして自分に才能があるのか
はたして自分に才能があるのか。
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この問いに対する答えを、いつも強く求めて来ました。
これが知りたいがために、占いをはしごしたり、自己啓発本を読み漁ったりしてきたわけです。もし私に子どもがいたら、その子に様々な習い事をさせていたかもしれません。
自分自身も手当たり次第に情報収集して、試して、長い迷子生活の果てに、1つの結論に達しました。
才能はあるんです。誰にでもあります。
なぜなら才能とは、
やめるのに努力が必要なこと
だからです。
何の役にも立たないし、誰にも褒められるわけでもなく、なんなら怒られることだってあるのにやってしまうことってありませんか?
- 自分にとってはあたりまえ過ぎて、やってたことを忘れてしまっていること。
- 人に言うほどでもない、どうということもないことだけど、いつも必ずやっていること。
そんな名もなき「ついやってしまうこと」の中に、才能は埋もれているんです。
その作業自体が好きなことが才能である
とも言い換えられるでしょう。
才能探しで注意すること
才能探しで注意しなければいけないことは「既に名前のあること」で探そうとしないことです。名前つきの行為の中から才能を探そうとすると、失敗しがち。
なぜなら、既に名前がついている行為は、どこかの他人が、自分のために作った既製品のパッケージなので、あなた自信にはぴったりフィットしないことが多いんです。
才能は動詞で探そう
才能は、「動詞で探す」ことも大事。
そうですね、例えば私は写真を撮るのが結構好き。
でも
「写真が好き」
みたいな特定のしかただと、才能探しを失敗します‥。解像度が荒すぎるし、動詞じゃないです。
「写真」というジャンルの中の、どんな行為のどの部分が好きなのか?まで考えないと、自分の本質に近づけません。
- 写真撮影フローのうち、どのプロセスが好きなのか?
- 流れ全体の中で何をやってるときが1番ワクワクするか?
- トータルでは好きだけど、この部分は実は嫌い、というのはどこか?
みたいな問いを設定して、本心から答えないと、有効な回答にたどりつかないです。
いろんな答えがあると思うんです。
たとえば
- 憧れの先生に作品の作り方を直接教えてもらえている時
- フォトコンの入賞の連絡をもらった時
- 愛犬の遊ぶ姿を瞳にピントばっちりで可愛く撮影できた時
問いかけて、答えを探すとき、自分に嘘をついてはいけません。
人目を意識してカッコつけるのもよくないです。自分に正直に問いかけてこたえてください。
正直な答えが出てきたら、もう少し、粒度を細かくしたいです。粒度を細かくするためには、深堀りが有効。
上の例で言うと、憧れの先生が好きで、その人に直接教えてもらえることに幸福を感じるなら、
「何でこの先生がこんなに好きなんだろ?」
「なぜこの瞬間に幸福感を感じるのか?」
という風に、「何で?why」で深堀りしていくのがいいです。
深堀りするときに、有効なツールを3つご紹介しましょう。
- why
- 言語化
- 仮説
の3つです。
深堀りツール1 why
whyとは「何で」と聞くことです。何か心の動きを感じたら、「何で?」と問いかけます。
深堀りツール2 言語化
言語化とは、頭で考えた「why何で?」を言葉にすることです。頭の中でモヤモヤ考えるに留めず、言語に変換して、書き留めるのです。
深堀りツール3 仮説
モヤモヤを言語化したくても、イマイチピンとくる言葉にできないときに使うのが「仮説」です。とりあえずでも、えいやでもいいから、とにかく言葉にしてみましょう。考えに近いなにかの言葉にとりあえず置き換えるのです。
これが結構重要で、期限を決めて、とりあえずの答えを出します。これが仮説です。
上の例ので言うと、えいやっで「私があの先生をこんなに好きなのは、先生が撮って評価されている作品が好きだから。なぜ好きかというと、今までに誰もやってないようなヘンテコな表現なのに、なぜか魅力的で目を離せないから。そして私も先生みたいに評価される作品を作りたい」みたいに、仮説を立てるわけです。
えいやでも何でも仮説をひねり出すと、そこにキーワードが現れます。
- 誰もやってない
- ヘンテコ
- 表現
- 評価
- 作りたい
みたいに。この表面化してきたキーワードを、さらに深堀りしましょう。
そうすると、自分にとって大事なことが何か、魅力を感じることが何なのか、そこから導かれる自分の才能がどんなものなのか、あなたの真実に一歩近づけます。
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ちなみに、上で挙げた事例は、私のことではありません。
私の場合、写真撮影のプロセスで1番楽しいのは、撮影が終わって帰ってきて、ハードディスクにデータを取りこんで、「今日はどんなのが撮れているのかな〜?」と、パソコンモニターの大きな画面で写真をチェックしていく時間です。
この「チェック行為」が意味することは何なのでしょう?自分で分析してみたのですが、ひとことで言うなら、「答え合わせの快楽」なんだと思います。
で、撮ってきた写真をPCの画面でじっくり見るのに似た行為、他にも何かあるかな?と考えてみたんです。んで見つけました。
「行ってきた場所の地図を見ること」です。
どこかに出かけて、帰って来てから、その場所を地図で調べたり、そこに行くまでのルートを振り返ったりするのが、大好きなんですよね‥。
調べずにはいられない!
なんならその行為をさらに進めてブログに書いたりもします。
ここで仮説ですが、行った場所の地図を見ることは、楽しかったことを整理するとか、論理的に確認する作業なのかもしれないです。
右脳で感じた感動を、左脳で確認する‥みたいな。右脳、左脳、両方に刺激を与えてバランスを取りたいのかもしれないですね。
この習性から導き出せる才能は何でしょ?
振り返りなら、何でも好きというわけではありません。テスト中の余った時間に行う見直しは大嫌い。
では、テスト回答の見直しと、行った場所の地図を見るのと、撮影済み写真のチェックは何が違うのでしょうか?
考えてみたんですが、「地図を見る」「写真を大画面でチェックする」は仮説によれば「答え合わせ」ですよね。
答え合わせとは、なぞが解けること。一方、テストの見直しとは、いったんひねり出した解答をチェックして、ミスがないか見きわめる行為。もしミスを発見したら、ただちに修正してベストな解答に近づけます。
テストの場合も答え合わせがあります。ただテストの答え合わせは、試験終了後、採点後にやりますね。
さっさと答え合わせをしてしまいたいのに、なかなかできない状況にあるから、テスト解答の見直しが嫌いなのかもしれません(^_^;)
声の大きい人には気をつけよう
さて、自分の才能について考えるときは、声の大きい人に流されないことも大事です。
「声の大きい人」という風に象徴的に呼んでいますが、要するに
- 数字を持っている人
- 目立つ人
- 実績のある人
みたいな人のことです。
声の大きい人は、他人に及ぼす影響力が大きいです。そもそも、他人に強く印象づけて、その人を自分の意図通りに動かすことを目的に、大きな声を出していることもあります。
私も含め、人は流されやすいです。だから、声の大きい人の言葉には注意しなくてはいけません。良くも悪くも、考えることを放棄して、大きな影響力の波に流されてしまいたくなります。
流されることは一見楽です。
しかし、それが本当に自分の望むことなのかどうかは、常に確認していかなくてはなりません。
深く考えずに、強い流れに巻き込まれてしまおう…それでも、その場をやりすごすことはできるでしょう。
でも、コアの部分で納得していないので、進み続けると自分の内面とのズレが大きくなって苦しむことになります。
考えることを放棄して、流れに巻き込まれることはおすすめできません。危険です。
自分の内面が何を嫌がっているのか、根本的に何を欲しているのか、真摯にじっくり向き合えるのは、自分だけです。
他の人が楽しそうにやっていることが自分にも楽しいとは限りません。
自身の内側から発っせられる声に耳を傾けてください。結局は自分を知ることが自分を救います。
まとめ
自分の才能とは「やめるのに努力が必要なこと」というお話をしました。自分の才能を見つけたい方は、ぜひご紹介した手法を活用してご自身の才能を探り出してみてください。
とつらつら書いてきましたが、白状すると、私のいちばん強力な才能は
「ぼーっとすること」
です。
他のどんな創造的な行為にも勝る甘美な快楽…
できるなら天気のいい午後、木漏れ日の差し込む木陰に陣取って、コーヒーと焼き菓子か、ビールとサラミを傍らに、ただ風に吹かれていたい…です。
ぼーっとする時間を作るために生きてます^^
↓才能探しにはこの本も参考になりますよ↓